いつかは訪れてみたいと夢見ていたアンデス、そして天空都市「マチュピチュ」。
だが地球の裏側である南米のペルーはあまりにも遠すぎる。
夢で終わらせたくない気持ちが強くなり、ついにマチュピチュへ行くことを決めた。
考えてみれば海外に出るのは初めてだ。
いきなりの海外がペルーというのも自分らしくていい。
ペルーはスペイン語とのこと。
英語すらまともに話せないのだから、聞いたこともないスペイン語など怖くない。
なにごとも「なんくるないさ〜」の精神で突き進もう。
あと旅券やホテルなどを個人手配にするかツアーにするかで悩んだ。
団体ツアーは楽でよさそうだが、どうしても団体行動は無理だ。
かといって、何も分からないペルーでは不安だらけ。
調べると個人でもツアーを組める旅行代理店があった。
これは代理店が飛行機やバス、ホテルなどを予約してくれる。
ただ都市から都市へは個人で移動するらしい。
まあ、段取りだけ代理店にまかせて、気分は個人旅行といったところかな。
ペルーへは直行便がないので、アメリカ経由で行くことになる。
そういえば成田空港に来るのも初めて。
早めに着いて空港の中を見てまわったりした。
円からUSドルに両替するのもワクワクする。
ツアーといえども個人の旅なので、窓口でチケットをもらうだけだった。
乗る飛行機はコンチネンタル航空系列のユナイテッド航空。
航空会社によってアメリカの乗り継ぎ空港が違うよう。
ここはヒューストン空港が乗り継ぎだった。
ということで成田から、半日にあたる約12時間の飛行。
これが長かった。
モニターで映画を見る、食べる、寝るの繰り返し。
アメリカ的な食事を夕食、夜食、朝食と出されたら確実に太りそう。
結局、熟睡できないままだったので頭がボーッとしている。
時差だか何だか、夜だか昼だか分からない状態になりながらアメリカに初上陸。
しかし空港の乗り継ぎだけなので、アメリカに入国した気分ゼロ。
乗り継ぎだけで空港の外には出ないのに、セキュリティチェックの厳しいこと。
あまりにもヒューストン空港が広いので迷子になりそうだった。
乗り継ぎの時間が約2時間。
入国審査に時間がかかったので、早く出発ゲートに行かなくてはいけない。
とにかく案内板を見ても膨大な便があるので、どれが自分の乗る飛行機か探すのが大変。
まさか出発ゲートの移動にモノレールを使うとは思わなかった。
何とか間に合いホッとした。
快晴のヒューストンからペルーのリマへも同じユナイテッド航空。
一度もアメリカを味わうこともなく離陸。
ペルーのリマへは約6時間の飛行。
これほど続けて飛行機に乗ると体の感覚がおかしくなりそう。
成田からヒューストンの飛行機は日本人が多かったけど、さすがにペルー行きは少ない。
それなのに隣に座っていたのが偶然にも日本の女性だった。
最初はアジア系の違う国だろうと思っていたので驚いた。
しかもペルーの男性と結婚して、今回は日本に里帰りした帰りとのこと。
せっかくなので、いろいろとペルーのことを教えてもらった。
機内では夕食でパスタを選んだら、大きな固まりのパスタで、味付けも濃くて口に合わず。
しかも夜食まで出されたけど、固いパンのサンドイッチでお手上げ。
ついにリマのホルヘ・チャベス国際空港に到着。
とにかく長かったので疲れた。
日本との時差は14時間遅れなので、成田を夕方に出発して到着するのは同じ日の午後11時。
時間の感覚がおかしくなるのは当たり前。
空港にはペルーのツアー会社のガイドの人が迎えに来てくれていた。
日本語の話せる日系ペルーの方なので助かる。
やさしそうなお母さんで、細かくペルーのことを聞かせてくれた。
あとから知ったのだけど、日本の旅行代理店がペルーのツアー会社に手配していた。
海外に慣れていれば個人で飛行機やホテルの手配をして、目的の場所までを現地のツアー会社に頼めたと思った。
ここで南米ペルーの地図を見ながら、各都市の位置関係を把握しておく。
今回、旅をするのはペルーの南部が中心になる。
リマ→ナスカ→リマ→クスコ→マチュピチュ→クスコ→プーノ(チチカカ湖)→リマの予定。
基本になるプランスケジュールがあり、それを自分なりにアレンジしたのだ。
夜のリマ市内は小雨が降っていた。
海沿いのリマは雨が多くて、日本の梅雨のような感じらしい。
乾期後半のペルーに来たはずなのに、都会のリマは雨期のような感じだった。
車で泊まるホテルに着いたのは深夜12時をまわっていた。
新市街のビジネスホテルみたいな感じだったが、アンティークな落ち着いた雰囲気。
もう体がゆらゆらしている状態で、明日の朝が早いのであとは寝るだけ。
なのでペルー初日は、まだ何も実感できないままだった。